阪神の4番、大山悠輔(おおやま・ゆうすけ)選手が、2024年4月に初取得した国内フリーエージェント(FA)権の行使を決断したことが話題となっています。
球団きっての「聖人」と言わている大山悠輔選手ですが、プロ野球人生のスタートは順風満帆ではなかったようです。
今回は大山悠輔選手のプロ野球人生について、皆さんと一緒に見ていきたいと思います。
謝罪から始まった大山悠輔選手のプロ野球人生
大山悠輔選手のプロ野球人生は「謝罪」から始まったと言います。
2016年に阪神にドラフト1位で大山悠輔選手が指名された瞬間、会場からは「えー!?」という後ろ向きな悲鳴が上がったそうです。
ある雑誌の阪神ドラフト採点は50点で「史上最悪」とまで書かれていました。
大山悠輔選手は、知り合いに同期入団組の連絡先を聞いて
「俺のせいでこんな言われ方してごめん」と謝り倒した
と言います。
2016年当時の阪神は、主力選手の高齢化により、次世代の柱となる即戦力の獲得を望む声が多く聞かれました。
さらに、2016年のドラフトは投手に有力候補が多く、各スポーツ紙では、ドラフト1位指名を佐々木千早投手(櫻美林大)か田中正義投手(創価大)の2択と予想。
そんな中で阪神が1位指名したのが、大山悠輔選手でした。
予想外の指名に心無い阪神ファンからは
- 最悪
- ドラフト2位でも取れた
- 夢がない
などという声があがりました。
悲鳴を跳ね返した大山悠輔選手
そんな声を跳ね返すように、大山悠輔選手はプロ1年目の夏頃にはルーキーながら中軸を任されるようになります。
4番として結果を残せずに厳しい批判を浴びせられた時期もありましたが、着実に力を付けていきます。
レギュラーながらポジションが固定されず、毎試合のように守るポジションが変わる時期でも
- ポジションが固定されないことに不満はない
- レフトを守ってくれと言われたら全力で頑張るだけ
- 文句を言う暇があるなら準備をする
と迷いなく答えています。
主軸としてレギュラーで活躍している以上、多少なりともプライドがあり、「なぜポジションが固定されないのか」と不満を漏らしてしまいそうですが、上記のように迷いなく答える大山悠輔選手は本当にすごいと思いますよね。
応援したくなる存在だと感じました!
100号本塁打を放った際の大山悠輔選手は、2016年当時のドラフト会議での悲鳴について
- ドラフト会議の屈辱があったから頑張れている部分もある
- ドラフト会議で悲鳴を上げた人全員を後悔させてやるんだという感情は今も持っている
と告白しており、屈辱を糧にして真面目に野球と向き合っている様子が見て取れますね。
若手の見本となる大山悠輔選手の姿勢
大山悠輔選手が入団した当初の阪神は、とにかく練習量が少なかったそうです。
そんな中、大山悠輔選手は一人で黙々と練習に励み、近本光司選手が入団後は二人で自主練するなど、野球に真面目に向き合っていました。
大山悠輔選手や近本光司選手を慕う後輩選手が、彼らの真似して自主練に励むようになり、阪神を練習量の多いチームへと変貌させます。
大山悠輔選手は、たとえゴロを打ったとしても
「何が起こるか分からないし、最後まで諦めない姿勢を見せるべきだ」
と言って、アウトになるまで全力疾走を欠かしません。
他にも、ある選手が後輩選手に対して
「もし(大山)悠輔だったら、そんなプレーすると思うか?」
と諫めるエピソードもあるそうです。
まとめ
今回はFA権を行使して話題の大山悠輔選手について、皆さんと一緒に見てきました。
まとめると以下のようになります。
プロ入り以来、8年間、阪神の中心選手として活躍してきた大山悠輔選手。
ドラフト会議では屈辱的な思いをしますが、今ではファンからも認められる存在になっています。
FA権の行使については、阪神からは何度も引き留めがあったと言いますが、大山悠輔選手の野球人生における大きな決断の結果に注目です。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
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